あんぷら屋 anpuraya

Mobile Lives

寿命切れ

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 兄が、冗談みたいに死んだ。

 本当に冗談みたいに。

 笑いどころも何もないのに。

 兄が死んだ。

 冗談みたいな会話の直後に。

 交通事故。

 すべてが砕け散る。

 直前の会話の徹頭徹尾、会話の媒介の携帯電話、媒介の持ち主の五臓六腑。

 どうして。

 どうしてあの時、信じられなかったのか。

 ……いや、信じられるわけがない。

 現実に見たはずなのに、今でも信じられないのだから。

 誰だってあんなもの、信じられない。

 冗談でしょう?

 そう言われるに決まっている。

 そんな、冗談みたいな体験だったからこそ、私はあまり感傷に浸らずにいられるのかもしれない。

 しかし、それゆえに、この胸の蟠りは増すばかりなのだろう。

 まったく、冗談じゃない。

 あれは一体なんだったんだ。

1

「なんだこれ?」

 携帯電話を手に取り、その液晶画面を見ると、そこには妙なものが映っていた。


『寿命切レデス』


 どれだけ気楽な奴でも、その表示を見て不穏なものを感じないことはないだろう。この携帯電話の持ち主である、高野浩次もその例外ではなかった。自他共に認める楽天家の彼が不気味に思う程度には、その表示は奇妙なものだった。

 液晶画面中央に、確認画面でよく見かける確認ウィンドウが開いている。そこにその文字の羅列があった。すぐ下に表示されている『OK』のボタンを押さないことには、元の待ち受け画面に戻らなさそうだ。一瞬だけ迷って、浩次は決定ボタンを押した。

「……今度はなんだよ」

 今まで表示されていたそのウィンドウは消えたが、次にそこに現れたのは、見覚えのない待ち受け画面だった。いや、正確には、見たことはあるはずなのに、違和感を覚える待ち受け画面、か。浩次の携帯の待ち受け画面は自分の飼い猫の写真だった。しかし、今はその画面の中央辺りに、横長の細いメーターが表示されている。黒い枠線の中に、何本もの緑色の縦棒が並んでいる。まるで、電池メーターを百段階にしたような。

「まあ、いいや」

 そう呟き、浩次はメールを打ち始める。楽天家の肩書きは伊達ではない。ただ、彼の場合、その思考の源にある感情は、『面倒臭い』という少々偏屈的なものであったりする。

 メールを打ち終えて、また待ち受け画面に戻る。あのメーターはやはり消えていない。

(確か、さっきは寿命がどうとか書いてあったな)

 そして彼は思い付いた。

 なるほど、最近の携帯は電池か何かの寿命が切れて、使えなくなる前に知らせてくれる機能が付いているのか、と。

 彼は楽天家である以前に、超現実的思考の持ち主である。

 そして彼の携帯電話が四年も前に購入されたものだということを、持ち主は気が付いていないのだった。

2

 時間が過ぎるにつれて、予想通り、あの奇妙なメーターも残量を減らしていった。更に、その残量が残り僅かになると、緑色だった縦棒が赤くなっていた。本当に電池メーターみたいだ。しばらくしてから気が付いたのだが、このメーターは一時間につき一つ、目盛が減るようだ。朝方確認したときには、目盛はあと五つ残っていた。つまり、あと五時間ほどでこの携帯は寿命が切れる、のだろう。四年間も付き添ってきた相棒との離別は悲しいが、それも仕方あるまい。携帯電話に限っては、いつもの『面倒臭い』が理由ではなく、愛着があったからこそ買い替えなかったのだ。当然、人に聞かれれば『面倒だから』と答えるのだが。

 昼過ぎ、大学生である浩次は授業を自主休講して街をぶらついていた。繁華街と呼べるか微妙な規模の、それでも買い物には困らないような、適度に賑わっている街。いつもなら四年前から付き合っている彼女と二人で来るのだが、今日は授業があるので、一人で散策していた。本来は自分も授業のために大学にいるはずなのだが。

『ちょっと、人の話聞いてる?』

「ああ、ごめんごめん」

 電話越しに聴こえてくる声に、おざなりな謝罪をする。授業の休み時間、浩次がサボっていたことを叱咤する電話を寄こしてきた――――いや、掛けたのはこっちからだったか?

『ったく……。そもそも、そっちから電話してきたのに、なんでぼーっとしてるのよ』

 やはりこちらから掛けたらしい。それにしても、電話越しに聴こえる喧騒がやかましい。ここ、繁華街とさほど変わらない五月蝿さだ。大学生ってのはほんとに五月蝿い生き物だなあなどと、自分のことを棚に上げて考えていた。

『で、なに?』

「ん? ああ、えーと」

 掛ける用事があったような気がして、頭を回転させる。

「そう、そうだったそうだった。今のうちに話しておこうと思ってたんだよ」

『何を?』

「俺さ、もうすぐ携帯変えるんだ」

 二呼吸分ほどの沈黙。

『……え、それだけ?』

「それだけ、っていうか。説明すんのがめんどいんだよなあこれ。なんかさ、携帯の寿命が切れるみたいだから、最後にもう一回使っておこうと思って電話したんだよ」

『なにそれ、弔いってこと?』

「まあそんなとこ」

『じゃあ……別に関係はないんだ?』

「え、何が?」

『あ、ごめん、こっちの話。気にしないで』

 最後の方は良くわからないが、自分の要領を得ない説明で、一応は納得したらしく、彼女はふうんと相槌を打っていた。

「最後に電話するのは、やっぱし翠がいいじゃん?」

 そう言えば、彼女こと浅井翠と付き合い始めたのは、携帯を買い換えた直後だったな、とふと思った。行き先も決めずに歩いていたが、いつも覗いている服屋に行きたくなってきた。進行方向を変え、頭の中に地図を描く。ぼやけてはいたが、どうにか辿り着けそうだ。

『何言ってんだか……。ああ、あそこは今日しま……』

「キョウシマ?」よくわからない単語だ。京セラなら知っているが。と、頭の中の地図が消えかけていたので、慌てて思い出す。

『ううん、ごめんなんでもない。 ん、それよりさ、なんでもうすぐ寿命って分かるわけ?』

「だから、メーターの残量がもうほとんどないんだよ」

『だからって言われても、初めて聞いたわよそれ。全然説明が足りてないじゃない』

 そうだっただろうか。そうだった気もする。少し気になって、一度携帯を耳から離し、ディスプレイを見てみた。


 残量は、目盛一つ分。

 瞬間的に、寒気を感じる。

 これは……なんだろう?

 翠が何か話していることに気付き、耳に当て直す。

「ごめんごめん、ちょっとぼーっとしてた」

『いつもぼーっとしてるでしょうが! それより、今、メーターとか言ってたでしょう? 残量は?』

「え、ああ、あと目盛一つだったよ」

『そんな……』

 なんだか、いつの間にか翠の様子が変わっていた。妙に慌てているようだ。そろそろ休み時間が終わるからだろうか?

 電話をしながら服屋に辿り着いたのだが、店の前まで来てからようやく、『改装工事中』のプレートに気が付いた。

「なんだ……今日閉まってるよ。てか、どうかしたか? 急に慌てだして」

 次の目的地を決めあぐねて、閉まっている店の前で立ち止まった。シャッターに体重を少しだけ預けて、目の前に視線をやる。数歩先に横断歩道。信号は赤く、青に変わる時を今か今かと待つ人が少しずつ集まってくる。一瞬、競馬のスタートシーンを思い出したが、すぐに電話中だったことに気付いて、思考を停止させた。

『浩次! 落ち着いて聞いて!』

 目に映るのは、赤。

「なんだよ……お前が落ち着けよ」

 信号の赤色。

『気を付けて! 何か危険なことが起きるかもしれない!』

 目蓋を透過する太陽光、網膜に移される目蓋の血管。

「……はあ?」

 矢継ぎ早に警告をする翠。だが、唐突に過ぎるだろう。危険だから気を付けろ、と言われたところで、何に注意を払うべきかも分からなければ、何故危険なのかもわからない。

 だが、得体の知れぬ不安を感じるのも確かだった。

 焦燥感。

 つい最近、同じような感覚に囚われたことがあった気がする。あれは、そう――――

「危険って、なんだよ……」

『寿命切れっていう文字! あれは』

 浩次の寿命が切れるという警告。

 そんな馬鹿な話があるだろうか。

 あるわけがない。

「なんで――――」

 冗談じゃない、そんなもの信じられるわけないだろう。

「なんで俺の寿命が切れるんだよ!」

 赤色。

『浩次! 落ち着いて……』

 横断歩道から聴こえてくるレトロノイズ。頭に響く心臓の鼓動。

「ふざけんなよ! なんなんだよこれ! 俺にどうしろって言うんだよ!」

 もう、会話を続けるだけの理性を保てない。

 何を考えているのかも分からないほどに混乱して、それでも考え続ける。

 ただ、目の前の信号の赤さが恨めしかった。

 あの信号さえ青に変われば、自分は助かるかもしれない。

 何の根拠もなく、ただ願った。

 あの信号さえ。

 早く、早く青に変われ、そうすれば……

 ふ、と。

 全身を覆う寒気に気付く。

 周囲の気温が下がった感覚。

 例えるなら、太陽の日差しが雲に隠れた時のような。

 陰に入った時の様な。


『走って!』


 電話越しに聴こえたその声は、自分の思考に直接命令を飛ばしたかのように、一瞬で体全体に伝わった。

 夢中で走り出したその瞬間、目の前の信号が青に変わった。

 横断歩道に足を踏み入れ、行き交う人垣にぶつかりながら、もう一歩進んだその刹那。

 耳を貫くような、全身を貫くような衝突音を聴いた。

 頭が真っ白になる。

 自分は果たして、この音を耳で聞いたのだろうか。

 それとも、体に伝わる衝撃を、音と知覚したのだろうか。

3

 視界は、赤色で埋め尽くされている。

 一体何が赤く見えているのかも分からない。

 そもそも、見ているのかどうかもあやしい。

 自分は今、赤い世界にいるのではないだろうか。

 ただただ赤色が拡がるだけの世界。

 ここは、どこだろう?

 存在が希薄になっている。

 お前は誰だ、と聞かれたなら、確信を持った返答ができない気がする。

 これは、なんだろう?

 どうしてこんな、冗談みたいな世界にいるのだろう?

 冗談みたいな世界。

 すると、突然世界が真っ暗になった。

*

「浩次! 大丈夫?」

 聞き覚えのある声に、ゆっくりと意識を向ける。

「ねえ、返事できる? 浩次ってば!」

 ……どうやら自分は、生きているようだ。

 視界が真っ暗で、何も見えない。そこでようやく、自分が目を瞑っていることに気が付いた。目を開けると、そこには、つい先ほどまで話していた相手、浅井翠の姿があった。次第に周りの喧騒が蘇ってくる。頭にフィルターが掛かっているような感覚はまだ残っているが、確かに、自分は生きているらしい。自身が呼吸をしていることを認識してから、口を動かした。

「お前……ひどい顔してるぞ」

「よ……よかったぁ……」

 軽口を無視して、彼女は泣き顔を俯けていた。

4

「お前、なんであそこにいたんだよ?」

 最初に口にした疑問がそれだった。翠は、自分とは違って優等生のはずだ。あの時間は大学にいたはずである。少し間を空けて、彼女らしくない口篭った声で、一言。

「付けてたの」

「……何を?」

「浩次を。授業をサボって、一体何処に行くのかと思って。ひょっとして、誰かと会うのかな、なんて」

 つまりは、優等生である彼女が、確実に拘束されている時間を狙って、自分がよからぬことをしているのではないか、と思ったらしい。ふむ。中々に信頼されていないじゃないか俺は。

「だ、だって、一人でどこかに行っちゃうなんて、初めてだったし。それに普段はあの授業、サボってないし。あやしいなぁ、なんて」

「……実はさ」

 予感していた、と言ったら彼女は信じるだろうか。『寿命切れ』の文字を見たときから、自分の身に危険が迫っているのではないか、という意識が、常に頭から離れていなかったのだ。だからこそ、彼女の傍から離れて、授業をサボり、街をぶらついていた。

 しかし、身の危険を本気で考えたところで、自分が出来ることなんてないのだから、考えないようにしていただけなのだ。一言で言ってしまえば、面倒臭かっただけだ。だから、そう言ったところで彼女が信じるとも思えないし、やはり、面倒臭いことになるだけだろう。

「……やっぱいいや」

「何よ? 言いかけてやめないでよ」

 彼女の言葉を無視して、浩次は歩みを進める。

5

 夕方。事故が起きてからまだ三十分も経っていないが、日が暮れるだけで随分と落ち着けた気がする。浩次はポケットに手を突っ込み、それからようやく思い出して、ポケットから手を出す。

「まあでも、助かったよ。あと一秒遅かったら、鉄骨の下敷きで、俺まで砕け散ってた」

 俺まで。

 浩次が砕け散る代わりに、浩次の携帯が砕け散っていた。

 翠の声で反射的に走り出した浩次は、気付かぬ間に携帯を落としていた。そしてそのすぐ後ろで、ビルの屋上から鉄骨が落下してきた。改装工事中に鉄骨を繋ぐワイヤが切れたらしい。

「うん……ほんとに良かった。浩次までいなくなったら、私どうしたらいいかわからないし」

「俺まで、って何だよ?」

「こっちの話」

「今日それ多いぞ、お前」

 あの後すぐに、救急車だの警察だの野次馬だのが集まってきた。浩次は、自身ではかなり長い時間昏睡していたものだと思っていたが、翠の話ではほんの数秒だったらしい。特に怪我もなく、面倒ごとに巻き込まれるのを避けるため、二人は野次馬の間を縫って逃げてきた。

「にしてもまあ、世の中不思議なこともあるもんだなあ」

「……そうね」

「まさか携帯に自分の寿命が表示されるなんて、普通思わないよな」

「うん……それさ、ひょっとしたら、やっぱり携帯の寿命だったんじゃないかな?」

「ああ?」

「私、実はそれ、見たことあるんだ」

 驚いて、彼女の方を見遣る。少し俯いて、翠は続けた。

「私の、お兄ちゃんの話、前にしたよね?」

 翠の兄。

 名前は覚えていないが、確か、四年前に交通事故で亡くなったはずだ。その直後に付き合い始めたから、時期は間違っていないだろう。

「そう……その事故が起きる前に、お兄ちゃんの携帯に、浩次のと同じ表示があったのよ」

「……寿命……切れ?」

「うん。でも、私もお兄ちゃんも、そんなこと気にしてなかった」

 そして、すべてが砕け散った。兄も、携帯も。

 だから、浩次に危険が迫っていることに気付けた。

「お兄ちゃんも、携帯が好きでね。少しだけだけど、浩次にその辺重ねたりもしてたんだ」

「…………」

 携帯電話に対する愛着。人と比べてそれが強かったという共通点。そして、それを最後まで手放さなかった彼と、最後には手放していた自分。しかし、それでも、翠の見解が正解かどうかも分からないし、翠の兄と浩次の相違点も確信はない。

「だから……あー、ごめん、なんか結論が分からなくなっちゃった」

「おう、俺もだ。……にしても、結局あれはなんだったんだろうな」

「うん……なんだったんだろうね」

*

 この現象を引き起こしたのが、世に言う神様だとするならば。

 一言だけ言ってやりたい。

 聞きたい事は山程あるけれど、口にするのはこの一言だけだろう。


『神様、よくわかりませんでした』


The mobile-lives is end.

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